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神戸地方裁判所 昭和47年(わ)780号 判決 1985年3月29日

主文

被告人橋本時弘、同難波保雄をそれぞれ懲役六月に、被告人小泉佳寛を懲役五月及び罰金二万円に、被告人河原孝也、同天野彰をそれぞれ懲役四月に、被告人同和商品株式会社、同藤本政門をそれぞれ罰金三万円に、被告人尾田進を罰金二万円に処する。

被告人小泉佳寛、同藤本政門、同尾田進において、その罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

この裁判の確定した日から、被告人橋本時弘、同難波保雄に対し各二年間、被告人河原孝也、同天野彰に対し各一年間その刑の執行を、被告人小泉佳寛に対し一年間その懲役刑の執行をそれぞれ猶予する。

訴訟費用のうち、証人藤井〓弘、同青山幹郎(第八八回公判分)、同岡本房子に支給した分は被告人同和商品株式会社、同藤本政門の、証人霜田慶尚に支給した分は被告人同和商品株式会社、同藤本政門、同小泉佳寛、同尾田進の各連帯負担とし、証人野崎久美子に支給した分は被告人橋本時弘の、証人増田トシヱに支給した分は被告人難波保雄の、証人佐々木信子に支給した分は被告人天野彰の、証人作田多美子に支給した分は被告人河原孝也のそれぞれ負担とする。

被告人藤本政門に対する本件公訴事実中別紙一覧表(三)の番号第1ないし第18、被告人橋本時弘に対する本件公訴事実中同表の番号第4の2、第5、第6、第9ないし第12、第15、第17、第18、被告人難波保雄に対する本件公訴事実中同表の番号第14、第17、第18、被告人河原孝也に対する本件公訴事実中同表の番号第1、第12、第15、第17の1、第18、被告人天野彰に対する本件公訴事実中同表の番号第9、第11、被告人小泉佳寛に対する本件公訴事実中同表の番号第13、第16、被告人尾田進に対する本件公訴事実中同表の番号第13、第16については、右被告人らはいずれも無罪。

被告人本田忠、同川村雅宣、同伊藤勇三、同湯佐喜久雄はいずれも無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人同和商品株式会社(以下「同和商品」又は「被告会社」ともいう。)は、昭和四三年一一月一八日から同四六年六月三〇日まで神戸市生田区中山手通二丁目一〇七に本店を置いていたが、同年七月一日から大阪市北区曾根崎上二丁目二三番地に移転し(同年中は大阪支店と呼ばれていた。)、大阪化学繊維取引所、神戸生糸取引所、大阪穀物取引所及び関門商品取引所に所属する商品取引員として営業していたもの、被告人藤本は、同四四年一一月一日から同社の取締役兼営業部長であったもの、被告人橋本は、同四五年一月一日から同社大阪支店勤務の営業課長であったが、一時神戸本社に転勤となり、同四六年一月からは再び大阪支店営業課長であったもの、被告人難波は、同年七月一八日から同支店の営業副課長であったもの、被告人河原は、同四五年一〇月から同支店の営業主任、同四六年七月一日から営業係長であったもの、被告人天野は、同年一〇月一二日ころから同支店の営業係長であったもの、被告人小泉は、同四六年七月一日から同社徳島支店の副課長、同四七年一月からは課長であったもの、被告人尾田は、同四六年七月一日から同支店の主任、同四七年一月からは次長であったものであるが、

第一  被告会社の業務に関し

(一)  被告人藤本は、別紙一覧表(一)記載のとおり、昭和四六年五月一九日ころから同年一〇月二〇日ころまでの間一二回にわたり、被告会社が取引所の行う外務員の登録を受けていない藤井〓弘ら三名の使用人に、許可にかかる営業所以外の場所である大阪府東大阪市金岡一五〇の一八岩永路得子方等一二か所において、同女ら一二名に対し、商品市場における売買取引を被告会社に委託されたい旨申し向けさせて勧誘させ

(二)  被告人藤本、同小泉、同尾田は、共謀のうえ、別紙一覧表(二)記載のとおり、同年一〇月八日ころから同四七年一月二五日ころまでの間五回にわたり、被告会社が取引所の行う外務員の登録を受けていない霜田慶尚ら三名の使用人に、許可にかかる営業所以外の場所である徳島市新浜町一丁目折野サカヱ方等五か所において、同女ら五名に対し、前同様申し向けさせて勧誘させ

第二  被告人橋本は、同四六年六月八日ころ、大阪府八尾市北本町四丁目九番一八号野崎久美子方において、商品先物取引の売買委託を勧めるにあたり、相場が損勘定になった場合には委託証拠金をそのまま返還する意思がないのにこれあるように装い、同女に対し、「元金は保証するから会社にまかせて下さい。」「元金だけは絶対に損をすることはない。農林省のバックがあるから大丈夫です。」などと繰り返し申し向け、同女をして委託証拠金は相場の変動にかかわらず返還してくれるものと誤信させ、翌九日ころ、同所において、同女から現金三五万円の交付を受けてこれを騙取し

第三  被告人難波は、同年八月二六日ころ、同府箕面市西小路一三二番地増田トシヱ方において、前同様売買取引の委託を勧めるにあたり、その約束どおり委託証拠金を返還する意思がないのにこれあるように装い、同女に対し、「一〇月末の法事の時にこの金が必要なら必ず返します。損になっていた場合には銀行並みの利子をつけてお返しします。」などと申し向け、同女をして確実に一〇月末までには委託証拠金の返還を受けられるものと誤信させ、よって、翌二七日、同所において、同女から現金四〇万円の交付を受けてこれを騙取し

第四  被告人天野は、藤井〓弘と共謀のうえ、同年一〇月二一日ころ、兵庫県尼崎市次屋字戸ノ内三七八番地清こと佐々木信子方において、同女が前日商品先物取引の勧誘に応じる旨内諾していたのを撤回したため、まだ建玉をしていないのに、右藤井において、「昨日約束してもらったので今朝毛糸一二月限五〇枚を買った。」「今更やめてもらったら困まる。」などと虚構の事実を申し向け、同女をして建玉による委託証拠金を支払わざるを得ないものと誤信させ、よって、翌二二日ころ同所において、同女から現金九七万円の交付を受けてこれを騙取し

第五  被告人河原は、同四七年二月八日ころ、大阪府茨木市五十鈴町五番二七号作田多美子方において、先に同女が建玉した商品取引が益勘定になっているのに乗じ更に委託証拠金を出させようと考え、その約束どおり委託証拠金を返還する意思がないのにこれあるように装い、同女に対し、「今出している委託証拠金二〇万円に更に二〇万円を加え四〇万円にしてくれれば、一週間後には一〇万円の儲けをつけて四〇万円は必ず返します。」などと申し向け、その旨同女を誤信させ、よって、翌九日ころ、同所において、同女から現金一六万円の交付を受けてこれを騙取し

第六  被告人小泉は、同和商品徳島支店の責任者として、顧客に商品先物取引を勧誘するとともに委託証拠金や帳尻立替金の請求、受領等の業務に従事していたものであるが、同年三月一六日ころ、顧客の尾崎弘子から同人ら夫婦の帳尻立替金として現金二五一万八八〇〇円を受領し、同社のため業務上預り保管中、同日ころ、徳島市仲之町一の六東邦(中食)ビル内の同支店において、うち現金五〇万円をほしいままに自己の用途に費消するため着服して横領し

たものである。

(証拠の標目)(省略)

(法令の適用)

被告人同和商品株式会社、同藤本の判示第一の(一)及び(二)の各所為、被告人小泉、同尾田の判示第一の(二)の所為は、いずれも包括して、昭和五〇年法律第六五号附則四条により同法による改正前の商品取引所法一六三条、一六一条一号、九一条の二第一項(判示第一の(二)につき更に刑法六〇条)に、被告人橋本の判示第二、被告人難波の判示第三、被告人天野の判示第四、被告人河原の判示第五の各所為は、いずれも刑法二四六条一項(被告人天野の判示第四につき更に同法六〇条)に、被告人小泉の判示第六の所為は同法二五三条にそれぞれ該当するが、被告人小泉の判示各罪は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条一項により判示第一の(二)の罰金刑と判示第六の懲役刑とを併科することとし、いずれもその所定刑期の範囲内で被告人橋本、同難波をそれぞれ懲役六月に、その所定刑期及び金額の範囲内で被告人小泉を懲役五月及び罰金二万円に、いずれもその所定刑期の範囲内で被告人河原、同天野をそれぞれ懲役四月に、いずれもその所定金額の範囲内で、被告人同和商品株式会社、同藤本をそれぞれ罰金三万円に、被告人尾田を罰金二万円に処し、被告人小泉、同藤本、同尾田においてその罰金を完納することができないときは同法一八条により金二、〇〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置することとし、なお諸般の情状を考慮して同法二五条一項によりこの裁判確定の日から、被告人橋本、同難波に対し各二年間、被告人河原、同天野に対し各一年間その刑の執行を、被告人小泉に対し一年間その懲役刑の執行をそれぞれ猶予し、訴訟費用中主文掲記のものについては刑事訴訟法一八一条一項本文(連帯のものについては更に同法一八二条)を適用して当該被告人らにそれぞれ負担させることとする。

(本件詐欺の訴因についての有罪及び無罪の理由)

第一  本件詐欺の公訴事実の要旨

被告人本田は、大阪市北区曾根崎上二丁目二三番地に本店を置き、大阪化学繊維取引所等に所属する商品取引員である同和商品株式会社(以下、「同和商品」という。)の取締役で事実上同社の業務を統轄していたもの、被告人藤本は同社の取締役営業部長等、被告人橋本は同社大阪支店勤務の営業課長、被告人難波及び同川村はそれぞれ同支店勤務の副課長等、被告人伊藤は同支店勤務の次長等、被告人河原及び同天野は同支店勤務の係長等、被告人小泉は同社徳島支店勤務の課長等、被告人尾田は同支店勤務の次長等、被告人湯佐は同支店勤務の主任として、いずれも部下を指揮し、顧客に商品先物取引を勧誘するとともに、委託証拠金を徴するなどの事務を担当していたものであるが、一般人が商品先物取引に無知であるのに乗じ、真実は最初の商品先物取引では儲けさせても、結局はいわゆる満玉を継続することなどによって顧客の委託する商品先物取引でことさらに損失を与え、かつ、右取引に関し、同社が向い玉をする方法などによって、顧客から提供させる委託証拠金の大部分を同社に利得させる意図であるのに、その情を秘し、同社の従業員の勧めるとおりに取引すれば必ず儲かるものであるなどと誤信させ、委託証拠金名下に金員等を騙取しようと企て、別紙一覧表(三)の被告人欄記載の各被告人らはいずれも、同表共犯者欄記載の者らと共謀のうえ、同表記載のとおり、いずれも商品先物取引に無知な根本光子ら一八名に対し、常に誠実に顧客が儲かるような売買を助言指導するような態度で、繰り返し虚構の事実を申し向けて委託証拠金の提供を求め、同女らをしてその旨誤信させ、よって、同女らから委託証拠金名下に現金等の交付を受けて各これらを騙取したものである。

第二  当裁判所の判断

一  同和商品と〓原商品等との関係

第三一回公判調書中の証人田中芳一、第三四回公判調書中の証人井上政大、第四三回公判調書中の証人木村清信、第一一五回公判調書中の被告人本田の各供述部分、田中芳一の昭和四八年一一月七日付、木村清信の同四七年五月二九日付各検察官に対する供述調書、田中芳一作成の会社経歴書、〓原商品株式会社作成の会社経歴書、検察事務官作成の同四九年三月二九日付報告書、被告人藤本の同四七年一〇月六日付、同四八年一二月二四日付、被告人本田の同四七年一〇月九日付(九枚綴分)、同四八年一二月二五日付各検察官に対する供述調書(但し、被告人本田、同藤本の右各検察官調書はいずれも当該被告人の関係のみ)等によると、次の各事実が認められる。

(一) 同和商品は、もと神戸市生田区浪花町五九番地に本店を置き大阪化学繊維取引所及び神戸生糸取引所に所属する資本金三四〇〇万円の商品仲買人であった晃商事株式会社をその前身とし、昭和四三年九月、当時〓原商品株式会社(以下「〓原商品」という。)の副社長で事実上同社を統轄していた被告人本田が中心となり、経営不振の右晃商事を買収して商号を同和商品と改称したもので、爾来田中芳一が代表取締役に就任し、同四五年二月資本金を七〇〇〇万円に増資したうえ、同四六年一月には法改正にともなう商品取引員としての許可を得て右各取引所所属の取引員となるとともに、同年七月には大阪穀物取引所に所属していた株式会社全商(被告人本田が代表取締役)の、同年一二月には関門商品取引所に所属していた九州岡安株式会社の各営業権を買取って、右各取引所に所属する商品取引員となるなど事業範囲を拡張し、同四七年二月当時、大阪本店(大阪市北区曾根崎上二丁目二三番地所在)のほかに徳島など七支店を有し従業員約一七〇名を擁していたものである。

(二) 〓原商品は、もと同三六年七月被告人本田が友人木原武男らと共に設立した〓原米穀株式会社という商号の商品仲買人であったが、同四〇年四月に現在の名称に変更され、同被告人が同四五年一月代表取締役に就任するに及んで業界最高の取引高を誇るまでになり、同時に顧客との紛議も多発して主務省から営業姿勢が最悪であると評価されていたところ、折から商品取引員制度が登録制から許可制に変る時期であったため、そのままでは商品取引員の許可がおりないことを危倶した同被告人は、〓原商品の事業を地域別に三分割してその営業権を分散することにし、同四六年五月、東部の営業権はエース交易株式会社に、中部のそれは大都通商株式会社に、西部のそれは双葉商事株式会社にそれぞれ譲渡されるに至り(右各社の代表取締役にはいずれも〓原商品に在籍したものが就任している。)、その結果〓原商品は被告人本田がそのまま代表者であったものの、商品取引員としての業務を行わない会社となった。

(三) 商品取引業界においては、〓原商品、双葉商事、エース交易、大都通商、全商、同和商品のほか、〓原商品が買収した合同商品(もと力物産)、第一商品(もと共栄商事)などを称して〓原グループといい、被告人本田は〓原商品、全商の各代表取締役を兼ねるとともに、同和商品、合同商品、第一商品各社の筆頭株主となり、殊に同和商品においてはその実権を握り、〓原商品から被告人藤本を入社させて営業部門及び日常業務の最高責任者とし、かつて勤務していた商品仲買人中井繊維株式会社の同僚であった木村清信を管理部門の責任者に据え、それぞれ同和商品の経営にあたらせていた。

被告人本田を除く余の被告人らはいずれも同和商品において公訴事実掲記の地位にあったものであるが、被告人藤本のほか、被告人橋本、同難波、同伊藤らも〓原商品から同和商品へ出向して来たものである。

二  検察官の主張に対する検討

検察官は、本件詐欺の本質として、同和商品においては、会社が利益を得るため、向い玉を建てるとともに預り方式を中心とした歩合給制度を採用したうえ、利乗せ満玉を繰り返し、頻繁に不必要な手数料稼ぎの売買や利幅の制限を行い、一任売買を取りつけあるいは無断売買をなし、利益の出た客の解約を引き延ばすなどして客に損をさせるいわゆる客殺し商法を営業方針としていたにもかかわらず、被告人らは、右事実を秘匿し、同和商品があたかも通常の商品取引員としての営業を行っているかの如く装って顧客を勧誘し、委託証拠金名下に現金等の交付を受けたもので、顧客が予め右事実を知っていたならば、証拠金を提供して売買取引を委託するはずがなかったのであるから、右勧誘が欺罔行為にあたり、右現金等の受交付が財物の騙取にあたるとして、本件詐欺が同和商品によるいわば会社ぐるみの犯行であると主張するので、以下検討する。

(一) 向い玉について

第四三回、第四六回、第五三回、第五六回、第一〇二回各公判調書中の証人木村清信、第一一五回公判調書中の被告人本田、第一一四回公判調書中の被告人藤本の各供述部分、木村清信の昭和四七年五月二九日付、同月三〇日付、同年六月一日付各検察官に対する供述調書、被告人本田の同四八年一二月二五日付、被告人藤本の同四七年一〇月一六日付各検察官に対する供述調書(但し、被告人本田、同藤本の右各検察官調書はいずれも当該被告人の関係のみ)、検察事務官作成の同四八年六月一五日付、同月二六日付各報告書によると、向い玉とは、通常商品取引員の方で客からの委託玉と対当させて建てる自己玉をいうが、向い玉を含め商品取引員の自己玉については、社団法人全国商品取引所連合会において、原則として、昭和四三年八月には各限月毎に総建玉の三割以内に、次いで同四五年九月には各限月毎に総建玉の一割以内または一〇〇枚以内に規制する旨の決定がなされていたところ、同和商品では、営業部長の被告人藤本と管理部長の木村清信が被告人本田と相談して、本件起訴にかかる取引期間(昭和四五年八月から同四七年三月)を含めかなりの期間に亘って、毎場節ごとに委託者の売り注文と買い注文の差玉に対し、自己玉規制の範囲内では同和商品名義で、その範囲を超える部分は〓原商品及び全商名義で、相場の動向を考慮することなく機械的無差別に一定量(前掲証人木村清信の供述部分によると約九割方という。)の向い玉を建てていたことが認められる。

もっとも、弁護人は、右〓原商品及び全商名義の玉は、一般委託者のそれと同様、〓原商品及び全商が自己の計算においてなした委託玉であって、同和商品の自己玉でないから、これをもって同和商品が一般委託玉に対し向い玉をしていたとみるのは不当である旨主張しているが、同和商品と〓原商品及び全商とは、前示のとおり系列グループ会社の関係にあり、手数料や差損益金の清算についても相互に融通し合っていること、昭和四七年二月大阪化学繊維取引所等により同和商品に対し合同監査が行われた際、〓原商品や全商が同和商品のいわゆるダミー会社であり、右両社名義の玉が同和商品の自己玉であると指摘され、向い玉の自粛方を要請されたこと(第一二回、第一九回各公判調書中の証人高橋〓の各供述部分、昭和五三年押第七八号の八中被告人藤本作成にかかる昭和四七年二月五日付通達)などに徴すると、検察官主張のとおり、〓原商品及び全商名義の玉は同和商品の自己玉とみるのが相当である。

ところで、右のように差玉に対する向い玉をした場合、もとより委託玉も自己玉(向い玉)も取引所を通じ不特定多数の者との間で競争売買されるのであって、委託者と同和商品との間で直接売買が成立するわけではないが、その対当する範囲においては、同和商品から商品取引所へ出した売り注文と買い注文の枚数が同数であるから、商品取引所との間では損益が相殺されて現実に売買差金の授受はなく、他方同和商品と委託者との間の計算関係においては、委託者全体の総益金と総損金の差額が益ならば会社の損に、損ならば会社の益と同額となり、その意味で委託者全体と会社の利害は相対立する関係になるといえる。

検察官は、この点を指摘して、同和商品が前示のような向い玉をしていたのは、委託者と勝負し委託者の損を会社の利益として吸い上げるためであると主張する。

なるほど、向い玉はその対当する範囲において委託者全体と会社の利害を対立させる関係を設定することは否定できないが、会社が向い玉をすれば客が損を蒙るという関係までも生ぜしめるわけではなく、客が損をするか否かはあくまで相場の動向によって決せられるものである。ただ、右の対立関係にあることから、会社としては利益を上げるために積極的に客に損をさせるような、検察官のいう客殺し商法をとろうとすることは十分考えられるところであり、向い玉の割合が大きい場合にはその傾向が強くなるということはできるのであって、このように、向い玉は会社に客を殺す営業方針をとらせる動機となる点で問題があるといえる。しかしながら、向い玉には右程度の意味しかないのであって、それ自体客を殺す手段でないことはもとより、会社が向い玉をしておれば必ず右のような営業方針をとるとまで結論づけさせるものでもない。けだし、商品先物取引においては、客は利益のある間更に大きな利益を得ようとして取引を継続し、損失を蒙ってから離脱していくという、いわば自然死の事例が一般的に多いと考えられるため会社が向い玉を前提として利益を上げるには、必ずしも積極的に客を殺すような営業方針をとるまでの必要がないといえるからである。

更に、向い玉については以下の点も看過することができない。即ち、前掲証人木村清信、被告人本田、同藤本の各公判調書中の供述部分のほか、第二二回、第二五回各公判調書中の証人宮入治男、第九九回公判調書中の証人山田茂治、第一〇〇回公判調書中の証人山口六弥の各供述部分などからも認められるように、向い玉は、注文した全部の売買が商品市場における露骨な競争にさらされることなく委託者の望む値段で取引ができることになり、結果的には約定値段においても数量においても委託者に有利であり、また会社も商い数量が増えて手数料収入の増大につながること、ブーム等によって委託玉が売り又は買いに片寄り大きな値動きが生ずる場合に相場の沈静化に役立つこと、委託玉に損失が生じ委託追証拠金が必要となったのに委託者がこれを提供しないため取引員の経営が窮地に陥るのを防止する、いわば保険の役割を果すことなど会社と客の双方に利益になる面を有しており、これらのことは向い玉の割合が大きいほど当てはまると思われる。そして、商品取引業界ではかなりの取引員が程度の差こそあれ、ダミー会社を利用するなどして向い玉を建てており、向い玉が同和商品に特有なものとはいえないのである。また、商品取引員の自己玉については、商品取引所法九四条一項四号、同法施行規則七条の三第二号を受けて、先にみたとおり厳しい規制がなされているが、その理由とするところは、第一九回公判調書中の証人高橋〓の供述部分等によると、会社が過度の向い玉を建てて相場がはずれた場合にその経営が悪化し客の保護に欠ける結果を招来する危険があること、客の利益を考慮して建玉を勧めているはずの商品取引員自身がそれと反対の建玉をすることは商業道徳上好ましくないうえ、その結果客が損失を蒙った場合殊更に損を与えたとの誤解を招きかねないことなどであって、向い玉自体に詐欺罪等犯罪を構成する要素が存することを理由とするものではない(因に、いわゆるのみ行為は同法九三条、一五五条により刑事罰の制裁があるが、向い玉にはそれに違反しても行政処分の対象となるに過ぎない。)。

以上要するに、同和商品が前示のように向い玉をしていたことをもって、直ちに客殺し商法をとっていたとはいえず、従って、このことを秘匿したからといって詐欺罪の欺罔行為を構成することにもならない。向い玉をしていても、通常の商品取引業務を行っておれば詐欺罪に問擬される理由はないのであって、結局問題は、向い玉をしていることから、同和商品が委託者に対し検察官主張のような種々の客殺しの方法をとることを営業方針としていたか否かにあると考えられる。

(二) 預りを中心とした歩合給制度について

第四六回、第四九回、第五三回各公判調書中の証人木村清信、第一一四回公判調書中の被告人藤本、第一〇五回公判調書中の被告人橋本、第一〇七回公判調書中の被告人難波、第一〇七回、第一〇八回各公判調書中の被告人川村、第一〇九回公判調書中の被告人伊藤、第一一〇回公判調書中の被告人河原、第一一三回公判調書中の被告人尾田の各供述部分、木村清信の昭和四七年五月二九日付検察官に対する供述調書、被告人橋本の同年七月一日付(四一枚綴分――但し、被告人藤本、同小泉、同尾田の関係のみ)、同月一八日付(第一回)、被告人難波の同月二〇日付、被告人川村の同四八年一二月一三日付、被告人伊藤の同四七年五月三一日付、同四八年一二月二一日付、被告人河原の同四七年八月一七日付、被告人小泉の同年一一月一六日付、同四八年一二月二三日付、被告人尾田の同月五日付の各検察官に対する供述調書、被告人天野の同年一一月一九日付、同月二一日付、同月二九日付(八枚綴分)、被告人湯佐の同月二六日付各検察官に対する供述調書(但し、被告人天野及び同湯佐の各検察官調書はいずれも当該被告人の関係のみ)等によると、預りとは、一定期間内に入金のあった委託証拠金の入金額と客の足(客が証拠金以上の純損失を出した場合の不足額)を合計したものから、返却した委託証拠金と客に支払った利益金の合計額を差引いた額をいい、これを基準にして歩合給を計算する方式を預り方式というのであるが、(1)同和商品では、歩合給制度として、昭和四七年三月以降は営業社員に対し手数料収入に基礎を置く分配金制度を採用しているが、本件起訴にかかる取引期間(同四五年八月から同四七年三月)を含むそれ以前において、次長以上の管理職員に対しては右預りを中心とした臨時賞与制度を、係長以下の一般営業社員に対しては同四五年三月以前まで預りにあたる純向上制を、その後同四六年三月まで収入手数料制を、同年四月から新規建玉制を採用していたこと、(2)右の臨時賞与制度とは、一年を二期の査定期間に区分し、その期間内の支店別の預りからその期間内の支店経費の三倍分を差引いた残額の一定割合を臨時賞与とし、これを年二回支給していたものであり、また、右の新規建玉制とは、新規委託を受けて当月中に入金された委託証拠金(当月分に返却した分を差引く)でその月中に新規に建玉した枚数を基準に、取引対象商品ごとに決められている一定金額で歩合給を算定する方式をいい、前者は委託証拠金、利益金等の社外流出を抑制する目的をもつのに対し、後者は新規客の獲得を目的とするものであること、(3)右の預りを中心とした臨時賞与制度及び新規建玉制を採用している限りでは、手数料収入は歩合給算定の基礎となっておらず、他方、預り方式は歩合給算定の基準のみならず、社員の成績や報奨金の算定基準でもあったこと、(4)しかし、同和商品においては完全歩合給制ではなく、相当額の固定給が支給されていたことがそれぞれ認められる。

検察官は、同和商品が採用していた右の預りを中心とする歩合給制度について、客の委託証拠金や売買差益金はあくまで客からの預り金であって、その額がどれだけ増減しようと商品取引員たる会社の収入とは関係ないのであるから、その増減に比例して歩合給を支給するというのは極めて異常であり、殊に客の損失額が増加すれば歩合給を増やし、客への利益金の支給額が増えれば歩合給を減らす点には全く合理制が認められず、畢竟同和商品は、向い玉制度に対応し、客に損をさせて委託証拠金の返還を阻止し、客が利益金を得てもそれを持ち出させず、自己の手元に保留したうえその分も損をさせて会社の利益に吸い上げるために、右歩合給制度を採用したものであると主張する。

しかしながら、同和商品が新規建玉制や預り方式の歩合給制度を採用していたからといって、それが直ちに客の損失と結びつく関係にあるわけではないうえ、客からの手数料がその主要な収入源となる商品取引員たる会社においては、新規客の獲得とともにその者との取引の継続を図り、商い数を増加させることは最大の課題であり、これを実現するために可及的に委託証拠金を収集し、収集した委託証拠金や発生した利益金の返却を押えようと努力することはむしろ当然ともいえるのであって、その努力の結果である預り等を歩合給算定の基礎とすることは充分に合理性があるといわねばならず、右の歩合給制度が同和商品に特有なものではなく、商品取引業界で広く採用されていることも看過できないところである。検察官は、預り方式が客の損失額の増加を歩合給の増加に結びつけている点を特に問題にしているが、この点は、客の損失額の増加に対して歩合給が支給されているとみるよりは、客の売買差損を委託証拠金で補填できない帳尻損金が生じた場合、営業担当者はその未収金を回収して会社に入金することが予定されているのであって、いわば委託証拠金の獲得と同視できることから歩合給算定の根拠にしていると考えるのが相当である。被告人らは、その検察官に対する供述調書によると、検察官から設例を与えられたうえ、預り額が客の損失額と同額であり客に損をさせた方が預り成績に有利であることを指摘されて、はじめて右関係に気づいていることが看取されるのであって、本件当時客に損をさせることが歩合給の増加につながるとの意識をもっていなかったことが認められる。

以上のとおりであるから、同和商品が預りを中心とした歩合給制度を採用していたことをもって、直ちに客殺し商法をとっていたとはいえず、まして右歩合給制度を採用していることを客に秘匿したからといって欺罔行為を構成することにもならない。結局は、歩合給を増やすため、新規委託客の勧誘や取引の継続あるいは解約の申入れにあたり、違法不当な方法で委託証拠金を集め、利益金等の返却を拒むことを会社の営業方針としていたか否かが問題になるのであって、通常の商品取引業務を行っている限り、右歩合給制度を採っていることが詐欺罪の関係で論じられる余地のないことは向い玉において言及したのと同様である。

(三) そこで以下、検察官が主張する客殺しの方法が果して客に損をさせて会社の利益を図ることになるのか、同和商品がその客殺しの方法を会社の営業方針として採用していたかについて順次検討を加えていく。

1 利乗せ満玉について

ここに利乗せとは、商品先物取引により生じた差益金を委託証拠金に振り替えて積み増しすることをいい、満玉とは、商品取引業界において一般的に用いられている用語とはいえず、その意味、内容が必らずしも明らかでないが、本件関係証拠によると、委託者から提供された委託証拠金額で取引できる限度一杯の建玉をする趣旨と解されるところ、検察官は、同和商品では、客に差益金を払い戻さずに常に利乗せをさせ、より大きな取引を勧めて満玉を繰り返すことをその営業方針としていたものであり、その結果客は相場に勝ち続けることができず、最後には差損を出して損失のまま取引を終ることを余儀なくされていたと主張する。

よって按ずるに、同和商品が客に利乗せ満玉を勧めることをその営業方針としていたことは本件証拠上明らかなところであるが、同和商品が満玉を勧めていたのは、商品取引所受託契約準則九条において、商品取引員は建玉数より委託証拠金が多い場合即ち過剰預託となったときは、余分な証拠金を委託者に返すよう義務づけられているところから、提供を受けた委託証拠金で取引できる数量一杯の建玉をしていたもので、右準則の趣旨に副っていたと認められるのであり、また、満玉が直ちに客の損に結びつくものでないことはいうまでもない。次に、利乗せを勧めることは手数料収入を目的とする商品取引員としては当然で、客も新に証拠金を出すことには抵抗があるが、差益金で取引を継続することには応じ易いこともあって、商品取引業界で一般的に行われているところである。しかも、利乗せすることは、差益金を帳尻に残し、または差益金の支払いを一旦行ったうえ、建玉枚数に応じた委託証拠金を改めて預託してもらうのと同じことで、客の計算に全く差がなく、もとよりこれが客に損失を与える方法にもならない。従って、利乗せ満玉が客の承諾のもとになされているかぎり、同和商品がこれを営業方針としていたからといって何ら問題にならないのであり、その結果客が損失を蒙ったとしても、それは客が相場の判断を誤ったためであるというほかない。

問題は、同和商品が客の承諾を得ず、また強要するなどの不当な方法により利乗せ満玉を行い、客に利益金の支払をせず、差損が出るまで解約に応じないことを営業方針としていたかどうかである。

証人根本光子に対する当裁判所の尋問調書及び根本光子名義の振替同意書写(五通)、〓口猪四郎の昭和四八年五月一六日付検察官に対する供述調書、第六六回、第六七回各公判調書中の証人福田吉行、第七〇回公判調書中の証人野崎久美子、第六八回公判調書中の証人浦川フジノの各供述部分、吉田きよ子の同四七年六月三日付、同月二七日付各検察官に対する供述調書、第七一回公判調書中の証人増田トシヱの供述部分、第七二回乃至第七五回各公判調書中の証人小西清三郎の各供述部分及び小西清三郎名義の振替同意書写(四二通)、証人安藤典子に対する当裁判所の尋問調書、第八二回公判調書中の証人清こと佐々木信子の供述部分及び清清次郎名義の振替同意書写、第七六回公判調書中の証人高橋定男、第七七回公判調書中の証人西口和子の各供述部分、証人高橋知子に対する当裁判所の尋問調書、高橋利治名義の同四七年一月二八日付振替同意書写、第七七回公判調書中の証人北秋満里子の供述部分、第七八回公判調書中の証人中山章子の供述部分及び中山章子名義の同四七年一月二八日付振替同意書写、証人田所律子に対する当裁判所の尋問調書及び田所律子名義の振替同意書写(二通)、証人作田多美子に対する当裁判所の尋問調書、第七九回、第八一回各公判調書中の証人中田芳昭の各供述部分、中田正信の同四七年七月一八日付、同月一九日付各検察官に対する供述調書及び中田正信名義の同四七年三月一七日付振替同意書写等各被害者の捜査又は公判段階の各供述記載等のほか、当該被害者の委託者別先物取引勘定元帳等によると、以下の各事実を認めることができる。

別紙一覧表(三)番号第1の根本光子の場合は、その取引期間中差益取引が九回あり、うち利乗せが五回、差益金の返却が二回なされているところ、利乗せについてはいずれも同女名義の振替同意書が作成され、またその意思に従ってなされたことは同女自身もこれを認めているところである。同第2の〓口猪四郎の場合は、その取引期間中差益取引が五回あるが、利益分は損勘定に充当され利乗せ満玉の問題が起こる余地のなかったものである。同第3の福田吉行の場合は、その取引期間中差益取引は三一回あり、うち利乗せが二回、差益金の返却が一〇回(合計金七七三万六〇〇〇円)なされており、右の利乗せについては本人が承諾したことを認めている。同第4の野崎久美子の場合は、その取引期間中に一回生じた差益金は本人に返却され、その際、被告人橋本が利乗せを勧誘したが同女から拒絶されたことが認められ、その後は利益が上っていない。同第5の浦川フジノの場合は、その取引期間中差益取引は四回あり、利乗せをしようと思えば可能な場合であったが、帳尻金として残されているうち損勘定となってこれに充当された。同第6の吉田きよ子の場合は、その取引期間中二回の差益取引があったが、損勘定に充当されて利乗せの余地がなかったものである。同第7の増田トシヱの場合も、その取引期間中一回の差益取引があったが、次の損勘定に充当されて利乗せの余地がなかったものである。同第8の小西清三郎の場合は、その取引期間中五四回の差益取引がなされ、うち利乗せ一三回、差益金の返却三回(合計金一〇三四万八〇〇〇円)がなされており、右利乗せにつきいずれも本人の署名押印がある振替同意書が作成されている。同第9の安藤典子の場合は、その取引期間中売買益があったものの手数料倒れで結局差益金がなく、利乗せ満玉の余地がなかったものである。同第10の清こと佐々木信子の場合は、その取引期間中差益取引が一回あって差益金一三万円が生じたが、うち三万円については利乗せを承諾し、残一〇万円は返却を受けている。同第11の高橋定男の場合は、その取引期間中一〇回の差益取引があり、うち二回の差益金は返却されて利乗せをしておらず、残りはいずれも損勘定に充当されている。同第12の西口和子の場合は、その取引期間中差益取引がなく利乗せ満玉の余地がなかったものである。同第13の高橋知子の場合は、その取引期間中八回の差益取引があり、うち二七万二〇〇〇円につき同四七年一月二八日に利乗せがなされていて、それにつき夫利治名義の振替同意書が存在するが、前掲同女の供述記載をみると、その当時被告人小泉に対し強く委託証拠金の返還を求めていたと認められるのであり、従って同被告人が無断利乗せをした疑いが存する。余の差益金はいずれも損勘定に充当されていて利乗せの問題は生じていない。同第14の北秋満里子の場合は、その取引期間中差益取引が三回あり、差益金の返却を一回受け、同四七年一月二八日に七万二七〇〇円の帳尻益を利乗せしているが、これは既存の建玉が追証状態になったにもかかわらず、追証を入れなかったためなされたもので、利乗せ満玉とは関係ない。同第15の中山章子の場合は、その取引期間中三回の差益取引があり、うち二回の差益金六万九〇〇〇円について同四七年一月二八日に利乗せがなされているが、これについては本人が振替に同意している。同第16の田所律子の場合は、取引期間中一三回の差益取引があり、同四七年一月二〇日の三四万円と同月二八日の一一〇万二〇〇〇円の二回利乗せがなされているが、右二回につきいずれも本人が振替に同意しており、余の差益金はいずれも損勘定に組み入れられていて利乗せの問題を生じていない。同第17の作田多美子の場合は、その取引期間中差益取引がなく利乗せの余地がなかったものである。同第18の中田正信の場合は、その取引期間中三回の差益取引があり、同四七年三月一七日に四〇万円の利乗せがなされ、これについては同人の署名押印がある振替同意書が作成されており、その承諾があったものと認められるほか、帳尻金が一回返却され、余の差益金は損勘定に充当されている。

以上の検討結果によると、取引期間中に差益金が生じていないため利乗せの余地がなかった三例(安藤典子、西口和子、作田多美子関係)を除き、差益金が生じて利乗せの余地のあった一五例のうち、四例(〓口猪四郎、浦川フジノ、吉田きよ子、増田トシヱ関係)は差益金が損勘定に充当されたため利乗せの問題が生じなかった場合であり、結局利乗せ満玉の問題が生じうるのは一一例であるところ、そのうち、本件証拠上無断で利乗せをした疑いが存するのは高橋知子の場合だけであり、根本光子、福田吉行、小西清三郎、清こと佐々木信子、高橋知子、中山章子、田所律子、中田正信の場合は、いずれもその同意を得て利乗せが行われたと認められるのであり、また利益金の返却も多くなされている。右検討は本件で起訴された取引についてだけであるが、それだけをみても同和商品が委託客に利益金を返さず、その承諾なくして利乗せ満玉することを営業方針としていたと認めることはできない。なお、解約の問題は後述する。

2 手数料稼ぎと利幅制限について

検察官は、まず、同和商品では客に不必要な取引を頻繁にさせることにより、手数料収入をできるだけ多く稼ぐことを営業方針の一つとしていたのであり、例えば手仕舞いしたときには休ませず次の商いをさせ、あるいは買直しや両建の玉を同時に仕切らせるなどしていた旨主張する。

しかし、不必要な取引であるか否かということは、取引の結果が出た時点でいえる結果論に過ぎず、それを予知できない商品取引においては、契約時に不必要な取引というものは考えられない。従って、取引が頻繁になされ、また右主張のような取引方法がとられているからといって、客に不必要な売買をさせたということにはならない。ただ、相場の動向が高い確率で予測できるにもかかわらず、不当な手段で客にその予測に反する取引をさせるようなことがあれば、検察官の主張に副うといえるが、同和商品がそのような取引をさせることを営業方針としていたと認めさせるに足る証拠はない。

被告人らの捜査段階における供述調書中には、同和商品は手数料収入を得るため不必要な取引をすることを会社の営業方針としていた旨の供述記載が存するが、その内容はいずれも抽象的に過ぎて説得力に乏しいといわざるを得ない。即ち、右調書の中で頻繁かつ不必要な取引として指摘されている具体例(例えば、別紙一覧表(三)番号第8小西清三郎や同第14北秋満里子の取引。被告人難波は、昭和四七年七月二四日付検察官に対する供述調書において、右北秋の取引は手数料稼ぎのためになされた典型である旨供述している。)も、その供述録取にあたり、当時の相場の傾向や変動の要因となる情報等について、あるいは客が取引する際の具体的状況について検討された形跡は認められず、単に取引経過を記録した委託勘定元帳に基づき、その中の取引回数や数量が多い取引で損勘定になっている過去の例を取り上げて供述を引き出したという印象を払拭できない。

次に、検察官は、同和商品では、委託者の建玉に利益が生じた場合、利喰い幅を設けて極力低い利幅で仕切ったうえ、その利益を委託手数料で吸収して客に利益を残さないことを営業方針としていた旨主張する。

よって按ずるに、被告人らの検察官に対する各供述調書によると、毛糸取引の利喰い幅について、被告人橋本は三〇円から五〇円位(昭和四七年七月三日付―全一〇項分)、被告人難波(同年七月一一日付)、同小泉(同四八年一二月二三日付)、同尾田(同年一二月五日付)はいずれも三〇円位、被告人川村は二五円から五〇円位(同年一二月一三日付)であったとそれぞれ供述しており、毛糸取引においては大体三〇円から五〇円位までで利喰っていたことが認められるが、本件詐欺の被害者一八名の委託者別勘定元帳により公訴事実とされる本件取引を含む全取引を検討すると、毛糸の場合、売買差益が生じた九六回の取引のうち利幅が一円以上三〇円以内で利喰いされた割合は五六%、生糸の場合、売買差益が生じた五三回の取引のうち一円以上一〇〇円以内で利喰いされた割合は四八%であり、更に根本光子の取引中生糸につき二八三円、二一四円で仕切られたものがあるほか福田吉行の毛糸につき一〇三円(二回)、野崎久美子の生糸につき二一六円、小西清三郎の生糸につき五九三円、五三五円、四五七円、高橋定男の毛糸につき一七九円、二四〇円、田所律子の毛糸につき九五円という利幅で仕切られた取引も存することなどを考えると、同和商品が利幅を低く押えて仕切るのを営業方針としていたとまで断定し難い。のみならず、毛糸を三〇円まで、生糸を一〇〇円までと利幅制限することが何故不当なのか、手数料を差引いても売買差益が生じている場合何故客に損をさせる方法であるといえるのか理解し難い。この点、相場が上下しながら値上り又は値下りする傾向の時は、利喰いせずに我慢をすればより少ない手数料でより大きい利益が得られるとし(例えば、一週間のうちに二〇円づつの利幅で三回利喰った場合と、六〇円の利幅で一回利喰った場合とでは、顧客にとり手数料が建落二回分で済む後者が有利である。)、早目に利喰いすることは客の損失につながるという考え方もあるが、それは、大きい利益がとれることが客観的に分っていてはじめて妥当することであり、容易に採用できない。現に先物取引業界では利喰い千人力という格言があるとおり、刻々変動する相場においては利喰ってはじめて利益を現実化することができるのであって、我慢をしたからといって大きな利益を得られるどころか、相場が逆に動いて追証がかかる状態ともなれば、損切り手仕舞いを余儀なくされることもあり得るのであるから、仮りに利喰い幅の制限があって低い利益で仕切られたとしても、それをもって客殺しの方法とはいえず、むしろ堅実に利益を得る方法といえるのである。

3 一任売買あるいは無断建玉について

検察官は、同和商品では、顧客の無知を利用するなどして取引の一任を取りつけ、あるいは無断で建玉することを営業方針としていた旨主張し、これに副う被告人橋本、同伊藤ら一部被告人らの検察官に対する供述調書も存する。

しかしながら、同和商品においては、顧客が取引を始めるに際し、「商品の売買は自分の意志によって注文すること、相場の動きに対するアドバイスは社員がするが社員に売買を委せることは絶対にしないこと」等が明記された「お取引について」と題する書面を顧客に示し、これに署名捺印を求めたうえその一通を交付し、更に右同旨の注意が明記された「商品取引をされる皆様に」と題するパンフレット等を交付していたことは証拠上明らかであるうえ、本件詐欺の被害者の各取引状況を検討しても、取引を一任していたと認められるのは〓口猪四郎、吉田きよ子、増田トシヱ、田所律子の四名であるが、この四名も、中には吉田きよ子のように商品取引について無知であったため一任させられていたと認められる例もあるが、全部がそうだとはいえず、右四名を除く他は、無断建玉をされていた疑いのある西口和子を除き、いずれも外務員の意見を聞きそれに納得して取引の承諾を与え、あるいは積極的に自己の意見を述べて売買していたと認められるのであり、また、複数回の取引のうちの一部に無断売買がなされたのではないかとの疑いの存するもの(例えば、小西清三郎の昭和四六年一〇月一日付人絹糸取引や北秋満里子の同四七年一月七日付毛糸取引など)もあるが、これらだけをもって、同和商品が顧客の無知を利用して一任売買を取りつけ、あるいは無断建玉をすることを営業方針としていたとする検察官の主張を肯認するわけにはいかない。

4 解約引延しについて

検察官は、同和商品においては、委託者に損をさせるまで取引を継続し、その間証拠金や利益金を返さないとの営業方針のもとに、委託者から解約の申出があると徹底した解約引延し策をとっていた旨主張する。確かに、被告人橋本の昭和四七年七月一八日付(第一回)、被告人難波の同月二〇日付、被告人伊藤の同年五月三一日付被告人河原の同年八月一七日付各検察官に対する供述調書等によれば、同和商品においては、客からの解約申入れに対し人を替えやり方を替えて説得し、客がこの説得に容易に応じないことがわかるまで引延ばすよう努めており、また、証拠金等の返却額が二〇万円以上の場合は次長か課長が説得にあたり、二〇〇万円以上の場合は営業の最高責任者である被告人藤本の了解を必要としていたことが認められる。

しかしながら、同和商品が主として委託者からの手数料収入によってその経営を維持する会社である以上、解約等の申出に対し極力説得を試み、取引の継続を図ろうとすることは当然のことと思われる。確かに、本件委託者の中には、吉田きよ子のように解約の申出を無視されまた、西口和子のように無断建玉をされて解約の引延しを図られたと疑われる、かなり強引と思われる事例もあるが、同和商品が欺罔手段を使うなど取引通念上の許容限度を著しく超える方法で解約の引延しを図ることを営業方針としていたと認めるに足りる証拠は不十分といわざるを得ない。

(四) 以上検察官が本件詐欺の本質として主張するところを逐一検討したが、これを要するに、同和商品が向い玉を建て預りを中心とした歩合給制度を採用していたことは認められるが、これらはそれ自体客に損失を与えるものといえず更に、これらを前提として同和商品が種々の客殺し商法をとることを営業方針としていたとする点については、本件証拠上これを認めるに至らないのであり、結局、本件詐欺が会社ぐるみの犯行とする検察官の主張は、その余の点を判断するまでもなく、証明不十分として採用できないといわざるを得ない。

三  個別の勧誘行為による詐欺罪の成否

検察官は、本件詐欺の公訴事実において、欺罔方法としての勧誘行為を被害者別に具体的に掲記し、それに基づく詐欺罪の成立も主張していると考えられるので、以下訴因毎にその当否について検討する。

なお、不法領得の意思については、以下の検討により欺罔行為があったと認められる野崎久美子、増田トシヱ、清こと佐々木信子及び作田多美子の場合、各被害者から交付された現金は預託とはいえいずれも同和商品の会計に入り、同和商品の所有に帰属したのであるから、その認識の下に欺罔行為をなした被告人らに右意思があったと考えて差支えなく、この点に関する弁護人の主張は採用しない。

1 根本光子関係

証人根本光子に対する当裁判所の尋問調書、被告人河原の第一二二回公判調書中の供述部分及び検察官に対する昭和四八年一二月一八日付各供述調書によると、別紙一覧表(三)番号第1の1及び2の各訴因は被告人河原がその勧誘に関与したのであるが、根本光子は高校卒業後七年間会社勤務を経験したことのある主婦であり、同被告人の勧誘に際しては、かつて祖父が失敗したと同じ相場であることを理解したうえ、夫に内緒で取引したい旨申し入れており、商品取引が投機行為で損失が生じうることを十分理解していたと認められる。

そうすると、右各訴因掲記の勧誘文言中、例えば「毎月少くとも三万円や四万円位は儲けさせてあげます。」「私の担当の客は皆儲かっています。」「今は昔とやり方が違うから損することはありません。」などの言辞は誇張に過ぎるといえるが取引上許される駆引きの範囲を著しく超え欺罔行為を構成するとまでは考えられない。

2 〓口猪四郎関係

第六九回公判調書中の証人〓口猪四郎の供述部分、〓口猪四郎の検察官に対する昭和四八年五月一六日付供述調書被告人川村の第一二四回公判調書中の供述部分及び検察官に対する同年一二月二三日付供述調書によると、別紙一覧表(三)番号第2の1及び2の各訴因は、外務員入江弘志のほか被告人川村もその勧誘に関与したのであるが、〓口猪四郎は、同三七年に市役所を退職後銘柄株一一種類合計八万七六六七株から上る配当と貸家四軒の家賃収入で生計をたてていたもので、本件当時七八歳の高齢者であったものの毎朝マラソンをするほどの健康体であり、商品取引の何たるかを理解する能力に欠けていたとは認められず、まして五〇万円預ければ二、三ケ月で一〇〇万円位にする旨の勧誘をそのまま信用していたとは考えられないのであり、そのほかの右各訴因掲記の文言による勧誘も根本光子の場合と同様欺罔行為に該当するとまでいい難い。ただ、〓口猪四郎の右検察官調書によれば、預託する株券より配当も受けられ二重の利殖になるという勧誘がなされた旨の記載があり、それが事実だとすると欺罔行為を構成するとも考えられるが、この勧誘は右入江弘志によってなされたと認められるのであり、またこの点に関する被告人川村との共謀を認めさせる証拠もない。

3 福田吉行関係

第六六回、第六七回公判調書中の証人福田吉行の各供述部分、被告人伊藤の第一三〇回公判調書中の供述部分及び司法警察員に対する昭和四八年一月三〇日付供述調書によると、別紙一覧表(三)番号第3の1及び2の各訴因は、被告人伊藤がその勧誘に関与したのであるが、福田吉行は、本件当時不動産売買仲介業を営む商事会社に勤務していたもので、同被告人との三回にわたる面談で投機取引であることを十分理解したうえ、取引に応じたことは、福田吉行自身も認めるところであり、右各訴因掲記の文言による勧誘は根本光子の場合と同様の理由で欺罔行為を構成するとはいえない。

4 野崎久美子関係

第七〇回公判調書中の証人野崎久美子の供述部分、被告人橋本の第一一六回公判調書中の供述部分及び検察官に対する昭和四七年七月一八日付(第二回)供述調書によると別紙一覧表(三)番号第4の1の訴因は被告人橋本と外務員藤原某とがその勧誘に関与しているところ、本件当時三〇歳の主婦であった野崎久美子は、被告人橋本から同和商品の方で生糸を売り買いして利鞘を儲けてあげるとの説明を受け、また、主人はギャンブル嫌いだから本件取引を内緒にしていた旨証言しているから、商品取引が投機取引で損をする危険性のあることを認識したうえ、これに応じたと考えられるのであり、従って「生糸を今買えば絶対儲かります。」とか「一ケ月で一五万円は確実に儲けさせてあげます。」などの文言による勧誘が欺罔行為を構成するとはいえない。

しかしながら、更に「自分の記憶としては、とにかく元金を保証するということと儲りますよということを一番強調された。」「とにかく元金を保証するから会社に任しときなさいといわれた。」「元金だけは絶対損することはない。農林省のバックがあるから大丈夫だということで任した。」「主人に内緒の金だから絶対に元金が戻らなかったら困るから約束してくれと話すと、被告人橋本は間違いないと言った。」旨供述しているのであって、右供述によると、野崎久美子は、元本が保証されないと記載されている「お取引について」と題する書面に署名をしたものの、被告人橋本の右言辞を信用した結果取引に応じたことが認められる。もっとも、同被告人は第一一六回公判において右の点を否定しているが、その公判供述は、同被告人の前掲検察官調書と矛盾するうえ、例えば野崎久美子が右書面を朗読したとするなど同調書にない一〇年以上も過去の、しかも担当した多数の顧客の一人に過ぎない同女に関することを断定的に述べているなど不自然な内容を含んでおり、にわかに信用できない。これに比べ野崎久美子の右供述にはその信用性を否定すべき事情が見当らず、従って同供述を採用し、判示第二のとおり、被告人橋本による欺罔行為があったと認定するのが相当である。

被告人橋本の前掲公判供述及び検察官調書によると、同第4の2の訴因は外務員東紘一がその勧誘に関与したのであり、被告人橋本が東と共謀して同訴因掲記の勧誘方法に及んだことを認めるに足りる証拠はない。

そして、被告人本田、同藤本が右第4の1及び2の各訴因に関与しあるいは被告人橋本、右東と共謀したことを認めるに足りる証拠もない。

5 浦川フジノ関係

第六八回公判調書中の証人浦川フジノの供述部分、被告人伊藤の第一三一回公判調書中の供述部分及び検察官に対する昭和四八年一二月二一日付供述調書によると、別紙一覧表(三)番号第5の1及び2の各訴因は被告人伊藤がその勧誘に関与したものであるが、浦川フジノは当時ホテルを経営していたもので、被告人伊藤の勧誘に際しては、小豆相場の経験者である事務員の御明桂子を同席させたうえ質問もさせ、同被告人から先物取引についての説明を聞いていたことが認められるのであって、商品取引が投機取引であり、損失が生ずる危険のあることを理解できたと考えられる。

そうすると、右各訴因掲記の文言による勧誘は根本光子の場合と同じく未だ欺罔行為を構成するとはいえず、また一万円札大の新聞紙片を使用して欺罔したという事実は証拠上認めるに至らない。

6 吉田きよ子関係

吉田きよ子の検察官に対する昭和四七年六月三日付供述調書によると、吉田きよ子は小学校を卒業しただけで漢字も余り読めない、本件当時六一歳の雑役婦であって、商品取引を理解する能力がなかったと認められるのであり、従って、別紙一覧表(三)番号第6の訴因掲記の勧誘方法でも欺罔行為を構成する余地があると思われるが、右勧誘は外務員の藤井〓弘が実行したのであり、吉田きよ子の右調書を含む検察官調書三通のほか、被告人橋本の検察官に対する同年七月三日付供述調書(五枚綴分)によっても、同被告人が右勧誘を行い、また藤井〓弘と共謀して欺罔したという事実は認め難く、他にこれを認めさせる証拠はない。

なお、被告人本田、同藤本が本訴因に関与し、また藤井〓弘と共謀したことを認めさせる証拠もない。

7 増田トシヱ関係

第七一回公判調書中の証人増田トシヱの供述部分によると、同人は別紙一覧表(三)第7の勧誘を受けた際、商品取引が利鞘を稼ぐ投機取引であることを理解していたことは明らかであり、従って右訴因掲記の勧誘文言中の「毛糸はこれからどんどん値上りするから、今買っておけば必ず儲かりますので毛糸の取引をやりなさい。」という言辞による勧誘は根本光子の場合と同様欺罔行為にあたるとはいえない。

しかしながら、右供述によると、増田トシヱが被告人難波の勧誘に応じて現金四〇万円を提供したのは、「夫の兄の一周忌の費用にあてる予定の四〇万円だから、毛糸が上っても下っても一〇月末までに返してもらいたい。」旨申し入れたところ、同被告人が「法事の時にその金が必要というのなら必ず返す。損をすることは考えられないが、もしそんなことになったときは、私が責任をもって銀行並みの利子をつけて返す。」旨約束したので、それを信用したためであることが認められる。もっとも、同被告人の昭和四七年七月一〇日付検察官調書では、法事の話が出たのは九月二日ころ最初の儲けを知らせるとともに増証を勧めに赴いたときであると述べ、第一二五回公判においても同様供述しているが、増田トシヱの供述は、右以前の八月二七日ころに提供した本件証拠金が法事に充てる予定の金であったというのであって、この点同女が記憶違いをしているとは考えられず、これに反する同被告人の供述は採用しない。

そうすると、判示第三のとおり、被告人難波は増田トシヱに対し、実行する意思がないのに確約を与えて取引に応じさせたのであり、これは商品取引の勧誘において許される駆引きの範囲を著しく超え、欺罔行為にあたるといわざるを得ない。

なお、被告人本田、同藤本が本訴因に関与し、または被告人難波と共謀した事実を認めさせる証拠はない。

8 小西清三郎関係

第七二回ないし第七五回公判調書中の証人小西清三郎の各供述部分、被告人伊藤の第一三二回公判調書中の供述部分及び検察官に対する昭和四七年五月三一日付供述調書によると、別紙一覧表(三)番号第8の1及び2の各訴因は被告人伊藤が勧誘行為に関与したのであるが、小西清三郎は、右勧誘前の昭和四五年七月二九日より被告人河原、同川村らの担当で神戸生糸の取引を行っており、被告人川村が担当している間に約四〇〇〇万円の利益を生じたが、その後被告人伊藤が担当するまでに右利益が次第に減少する事態を経験していて、商品取引につき熟知していたと認められるから、訴因掲記のとおりの勧誘がなされたとしても、欺罔行為にあたるとは到底いえず、またその勧誘で誤信したとも考えられない。

9 安藤典子関係

証人安藤典子に対する当裁判所の尋問調書等関係証拠によれば、別紙一覧表(三)番号第9の訴因は被告人天野が勧誘行為に関与したのであるが、安藤典子は県立高校卒業後農協職員として勤務した経験のある主婦で、被告人天野の勧誘に際しそれが巷間危険とされる商品相場であることを十分理解したうえ、同被告人に説得されて取引を決意したと認められるのであり、右訴因掲記の言辞が欺罔行為を構成するとは考えられない。

10 清こと佐々木信子関係

第八二回公判調書中の証人清こと佐々木信子の供述部分被告人天野の第一一七回公判調書中の供述部分及び検察官に対する昭和四七年七月四日付供述調書によると、別紙一覧表(三)第10の訴因は、外務員藤井〓弘が昭和四六年一〇月二〇日夕方ころ清方へ赴いて勧誘し、同女から一旦内諾を得ていたところ、翌二一日朝その内諾を取消す旨の電話があったため、被告人天野と藤井が被告人橋本の指示を受けて再度清方へ赴いたのであるが、その途中藤井から「もう買ったことにしておきますから合せて下さい。」と頼まれた被告人天野は、まだ建玉がなされていないことを知りながらこれを承諾し、清方において、藤井が同女に対し「昨日約束してもらったので今日の一節で一二月限五〇枚を買っております。今更止めると言われても困ります。」などと虚構の事実を申し向けているのを黙認していたのであって、その結果清をして委託証拠金の支払いはやむを得ないと誤信させ、本件現金の交付を受けたことが認められる。被告人天野の第一一七回公判供述も当初右共謀を否認していたものの最後には認めるに至っており、結局本件証拠上判示第四のとおり、被告人天野と藤井との共謀による詐欺罪の成立を認めて差支えない。

なお、被告人本田、同藤本、同橋本が右詐欺につき被告人天野らと共謀したと認めるに足りる証拠はない。

11 高橋定男関係

第七六回公判調書中の証人高橋定男の供述部分、被告人天野の第一二六回公判調書中の供述部分及び検察官に対する昭和四八年一一月二九日供述調書によると、別紙一覧表(三)番号第11の1の訴因は被告人天野とその部下の佐野正清が、第11の2の訴因は被告人天野と同橋本がそれぞれ勧誘行為に関与しているところ、高橋定男は、昭和四六年一〇月二〇日ころから最初の取引をした同年一二月一四日ころまでの約二ケ月間に約一〇回にわたり、被告人天野から商品先物の値動きの実態等につき説明を受け、実家が相場で失敗したため執拗に反対する妻を押切って本件取引を開始しているのであって、商品取引の何たるかを十分承知していたと認められるから、右訴因掲記の勧誘文言をもって欺罔行為にあたるとはいえず、また、同第11の2掲記の勧誘文言中、一月七日には最低五〇万円のお年玉をつけて返す旨の約束があったとする点は、これに副う被告人橋本の昭和四八年一二月一日付検察官調書が存するものの、被告人天野及び証人高橋定男の各供述から右のような確定的内容の約束があった事実は認められないのであり、結局、高橋定男は被告人天野らの確約めいた勧誘に説得されて取引に応じたと考えるのが相当であり、右程度の勧誘をもって欺罔行為を構成するとはいい難い。

12 西口和子関係

第七七回公判調書中の証人西口和子の供述部分によると別紙一覧表(三)番号第12の訴因は外務員の青山幹郎が勧誘行為に関与しているところ、西口和子が額面合計四〇万円の定期預金証書を提供したのは、右訴因掲記の勧誘文言によるのではなく、青山幹郎のアンケート調査を装った言動に欺され、名前を貸す証拠としてであったことが認められるのであるが、この点については訴因に明示されておらず、また、被告人河原が右欺罔につき青山幹郎と共謀したことを認めるに足りる証拠もない。その後被告人河原が西口和子に右定期預金証書の換金を求めたのは、既に建玉がなされていることを前提に委託証拠金の入金を求めたのでありその建玉については西口和子に無断でなされた疑いが強いが、同被告人にその点の認識があったとは認められず、従って欺罔行為に加功したといえない。

なお、被告人本田、同藤本、同橋本も右青山幹郎と共謀したことを認めさせる証拠はない。

13 高橋知子関係

証人高橋知子に対する当裁判所の尋問調書、被告人小泉の第一二八回公判調書中の供述部分及び検察官に対する昭和四八年一二月二三日付供述調書等によると、別紙一覧表(三)番号第13の1及び2の各訴因は外務員の金山満らが、第13の3の訴因は被告人小泉がそれぞれ勧誘行為に関与したのであるところ、高橋知子は、徳島大学学芸学部を卒業後中学教員をし、本件当時は呉服店を経営していたものであって、その学歴、職歴等に徴し、金山満らの勧誘する取引が投機取引で損失が生じる危険性のあることを十分理解していたと認められるのであり、従って、右各訴因掲記の文言による勧誘は、根本光子の場合と同様いずれも欺罔行為を構成するとは考え難い。

14 北秋満里子関係

第七七回公判調書中の証人北秋満里子の供述部分等関係証拠によると、別紙一覧表(三)番号第14の1の訴因は外務員松浦薫が、第14の2の訴因は被告人難波がそれぞれ勧誘行為に関与しているところ、北秋満里子は、当時三七歳の会社員であり、商品取引が投機取引で損失を蒙る危険性があることを十分理解していたと認められるから、右各訴因掲記の文言による勧誘行為は、取引上の駆引きとしていささか行き過ぎの嫌いがあるが、未だ欺罔行為を構成するとはいい難い。

15 中山章子関係

第七八回公判調書中の証人中山章子の供述部分等関係証拠によると、別紙一覧表(三)番号第15の1の訴因は外務員の青山幹郎及び被告人河原が、第15の2の訴因は同被告人がそれぞれ勧誘行為に関与しているところ、中山章子は当時三二歳の主婦であり、商品取引が相場の動向により利鞘を稼ぐもので、損失を生ずる危険があることを理解していたと認められるのであるから、右各訴因掲記の文言による勧誘行為は、根本光子の場合と同様いずれも欺罔行為にあたるとはいい難い。

16 田所律子関係

証人田所律子に対する当裁判所の尋問調書等関係証拠によると、別紙一覧表(三)番号第16の1の訴因は被告人湯佐が第16の2の訴因は被告人小泉が、第16の3の訴因は被告人尾田がそれぞれ勧誘行為に関与しているところ、田所律子は、当時五二歳の中学校の給食婦であったが、旧制高等女学校を卒業しており、商品取引が投機取引で損失の生ずる危険性があることを理解していたと認められるから、右各訴因掲記の文言による勧誘は、根本光子の場合と同様欺罔行為を構成するとはいい難い。特に、第16の3の場合、同女は当時既に一ケ月余に亘って多数回の売買を繰り返し、同和商品から売付または買付報告書、売買計算書のほか、外務員の電話連絡により売買内容を承知しており、その間昭和四七年一月三一日八二万四〇〇〇円、同年二月四日一一九万円、同月一二日一二六万六〇〇〇円の損失がでていたのであるから、同訴因掲記の文言による勧誘が欺罔行為にあたるとはいえない。

17 作田多美子関係

証人作田多美子に対する当裁判所の尋問調書等関係証拠によると、別紙一覧表(三)番号第17の1の取引は外務員の青山幹郎が、第17の2の訴因は被告人河原がそれぞれ勧誘行為に関与したものであるところ、作田多美子は、高校卒業後生命保険会社に七年以上も勤務して給与関係の執務経験をもつ、当時二八歳の主婦であって、商品取引が投機取引で損失が生ずる危険のあることを理解していたと認められるから、右第17の1訴因掲記の文言による勧誘をもって欺罔行為に該当するとはいえない。しかし、第17の2においては、右尋問調書によると、作田多美子は、被告人河原から「先に二〇万円の委託証拠金で建玉した毛糸に六万九〇〇〇円の利が乗っているので、後二〇万円を追加して委託証拠金を四〇万円にすれば一〇万円ほど儲かる。」と増証を勧められた際、同被告人が「一週間後には一〇万円の儲けをつけて四〇万円を必ず返す。」と約束したため、これを信用して一六万円を交付したことが認められるのであり右認定に反する被告人河原の第一三三回公判調書中の供述部分は、作田多美子に対する勧誘の記憶がないとする同被告人の昭和四八年一二月一八日付検察官調書に照らし措信できない。

そうすると、作田多美子が投機取引につき前示のような理解を有していたとしても、右のような確約を内容とする勧誘行為は取引上の駆引きとして許容される範囲を著しく逸脱しているといわざるを得ず、判示第五のとおり、被告人河原の行為は詐欺罪に該当すると考えるのが相当である。

なお、被告人本田、同藤本、同橋本、同難波が被告人河原の右勧誘につき指示を与えるなどして共謀したと認めさせる証拠はない。

18 中田正信関係

第七九回公判調書中の証人中田芳昭の供述部分、中田正信の検察官に対する昭和四七年七月一八日付、同月一九日付各供述調書等関係証拠によると、別紙一覧表(三)番号第18の1の訴因は被告人河原が、第18の2の訴因は被告人河原同難波がそれぞれ勧誘行為に関与したものであるが、中田正信は、当時六一歳で軽い脳卒中を患い左足が不自由で言語に多少障碍があったものの、商品取引を理解する能力に欠けていたとは認められないうえ、被告人河原が業界紙、罫線等を使用して商品取引の仕組や相場の動向などを説明して勧誘した際、農協職員の長男芳昭らも加わって商品取引が危険であるとして反対していたのであり、結局損をしても大したことがないとして最初の一〇万円が提供されたという経緯が認められるから、中田正信は商品取引が投機取引で損を蒙る危険のあることを十分認識していたと考えられる。そうすると、右第18の1の訴因掲記の勧誘は欺罔行為にあたるとはいい難い。次に、第18の2の訴因においては、委託証拠金として二三〇万円の交付を受けるにあたり、被告人難波がその意思がないのに「二日後には必ず返す」旨確約している点は明らかに欺罔行為を構成すると解されるところ、中田正信は当日既に前場一節で毛糸一四〇枚の買建をしており、それが無断建玉と認め難い以上同人は保証金二三〇万円の出捐義務を負担していたと考えられるから、被告人難波らによる右現金の受領には不法領得の意思があったとはいえないのであり、結局被告人難波、同河原に対し詐欺罪の責任を問えないことになる。

四  結語

以上のとおり、本件詐欺の公訴事実中、被告人橋本に対する別紙一覧表(三)番号第4の1の事実(判示第二)、被告人難波に対する同第7の事実(同第三)、被告人天野に対する同第10の事実(同第四)、被告人河原に対する同第17の2の事実(同第五)を除く余の関係では、いずれも犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により、各該当被告人に対し各該当の訴因について無罪の言渡をする。

よって、主文のとおり判決する。

別紙一覧表(一)

無登録勧誘員 勧誘

日時(昭和年月日) 場所 相手

藤井〓弘 四六、五、一九ころ 東大阪市金岡一五〇の一八 岩永路得子方 同上人

四六、八、上旬ころ 大阪市東淀川区十三東之町一丁目一四の六浦川フジノ方 同上人

四六、八、一四ころ 同市大淀区本庄川崎町一の九 西川フサ方 同上人

四六、一〇、一二ころ 尼崎市神崎一六の九七 井上克子方 同上人

四六、一〇、一四ころ 同市高田宅地二三八の二 財前恵子方 同上人

四六、一〇、一八ころ 同市神崎字一六の九七 中根富美枝方 同上人

四六、一〇、二〇ころ 右同所 板敷久美子方 同上人

右同 右同所 長野京子方 同上人

青山幹郎 四六、六、一三ころ 豊中市庄内幸町三丁目一の一〇 青戸信江方 同上人

四六、七、九ころ 尼崎市水堂旭三六 南富志枝方 同上人

四六、八、九ころ 豊中市二葉町一の二四五 佐藤久美子方 同上人

坂本正吾 四六、五、二〇ころ 八尾市佐堂町三丁目四の五一 岡本房子方 同上人

別紙一覧表(二)

無登録勧誘員 勧誘

日時(昭和年月日) 場所 相手

霜田慶尚 四六、一〇、八ころ 徳島市新浜本町一丁目 折野サカエ方 同上人

阿部賢治 右同 同市南蔵本町 冨士千代方 同上人

〃 四六、一〇、一五ころ 同市北沖洲 田中和子方 同上人

山口守 四七、一、七ころ 同市新浜本町一丁目一の二二 片山広敏方 同上人

〃 四七、一、二五ころ 同市内 須見キク方 同上人

別紙一覧表(三)

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